いたちランニングクラブの由来
書くほどの歴史はございませんが、お気軽さを分かって頂きたい。


◆クラブ発足???
1人1人がバラバラで走っていた素人ジョガー数名が、富山市の新総合体育館の竣工(1999年)を機会に、時々一緒に走ることにしました。ただ練習するに飽き足らず、遅いなりにも市民マラソンにエントリーするなど、クラブ的な形態と活動が生じ、総合体育館横を流れる「いたち川」から名前をもらって、(仮称)いたち川ランニングクラブを名乗りました。以降、レースの申込書の所属欄に「いたち川ランニングクラブ」あるいは「いたち川RC」と毎回記入するうちに現在に至っています。クラブとして成立した日は曖昧ですが、創立年は20世紀末の1999年。ノストラダムスの予言が外れた?年であります。⇒ クラブ発足当時のホームページ

◆いたち川について
山の方ならご存知でしょうが、クラブ名になっている「いたち川」についてご紹介。
富山市を挟む様に流れる常願寺川と神通川、いたち川はこの2つの大きな川を結ぶ珍しい川であり、富山市民にとっては支流の松川と並んで最も親しみある川です。錦鯉やウグイしかいない?かとも思えますが鮭や鮎も溯上するなど見かけ以上に水はきれいで、水面には鳥達が遊び、上流では平地にもかかわらずヤマメの姿も見かけます。
いたち川 本輝氏の芥川賞受賞作「蛍川」の舞台としても知られ、ーベル化学賞受賞者の田中耕一さんもいたち川のすぐ傍で育ちました。また、第2次世界大戦の富山大空襲や安政の大地震では、いたち川に纏わる悲しいお話も数多く、いくつかある延命地蔵尊では手を合わせる人の姿も見られます。
ラブ名の仮称時には何も意識していませんでしたが、今現在は「文学や化学にも寄与したこの川が見せる、自然の恵みと人間の生活が調和した流れ」の様に淀みなく走りつづけたいと願っており、とても立派なクラブ名と自負しております。
たち川縁の道路は、市街地にあって車の往来も少なく、ジョギングコースとしても至適です。四季を彩る見事な桜並木はランナーの目を楽しませるだけでなく夏の紫外線からも守ってくれます。延命地蔵尊の名水での給水も可能、さらには公衆トイレもあります。富山市体育館から大泉中学横までを往復すると約8km、環水公園と組み合わせると10km程度の距離を稼げます。
 
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(C)The itachi-river running club. since 1999